普通であろうとし続けた代償
「普通」の人生を諦めた人間の回想。
親は小学生の頃に離婚。
人間の屑のような父親だった。
母親には持ち家があったし、難しい資格を取り男並みに稼いでいたから貧乏ではなかった。欲しいものが買ってもらえなかった記憶はない。
私はとにかく学校が嫌いだった。閉塞感しかなかった。退屈の極み。
小学校では脱走魔。
中学はある事件をきっかけにほとんど行かず、高校も途中で嫌になりギリギリ、おまけで卒業したようなものだ。親に勧められた大学にも興味がなかった。とにかく同世代の集団に放り込まれるのが嫌だったらしい。勉強も嫌いだし。正社員も1度で懲りた。専門学校も2回くらい入っては辞めた。引きこもりも経験した。友達がいなくなってネットに逃げた。よく今まで生きてこれたなぁと不思議に思う。こんな私にも世間や親が定義する普通の人生がいつか訪れると思ってた。
週5日8時間勤務土日休み。満員電車で通勤。資格と自分磨き。結婚。貯蓄。年金で暮らす老後。
それが自分をじわじわと絞め殺す見えない縄であり鎖であるとも知らずに。
I was a dreamerだな、まったく。
普通の人生という訳のわからない妄想と、知らぬ間に押し付けられた普通という常識に囚われ続けていた代償は、あまりにも大きい。
1度として自分の人生を生きて来なかった哀しさよ。何の希望も持てない人生。苦しみと後悔の航海の途中、果てしない暗闇の中、途方に暮れては立ち止まり、無情にもひたすら流れてゆく時間。
こんな私にもいつか光が見える日が来るのだろうか。
相変わらず何の希望もない日々。
生きるのが辛い。
死ぬ勇気もない。