腰の怪我が意味するところ

腰椎分離の痛みがだいぶ落ち着いてきたここ最近、またやらかした。

階段から垂直に落ちて尾骶骨打撲。思うように動けないし、寝返り打てない。痛みのストレス。


腰の怪我が表すシグナルやspiritualな意味を調べたことがあるけれど、腰=怒り、傲慢、などなど、らしい。

あぁ、確かに。


社会が悪い。

親が悪い。

環境が悪い。

過去が悪い。

日本が悪い。

教育が悪い。


今の不本意で惨めな自分の姿から目を背けて、何かや誰かのせいにして楽になろうとすればするほど、根底にくすぶっている自分自身への怒りと憎しみが、静かに心と身体を蝕む。

  

しかしまぁ、怪我の多いこと。

ギリギリで命は助かってるけど。


単なる注意欠陥障害だけでも無さそうな予感。

311から6年

311福島原発事故から6年。1446の黙祷をした。偽善者だろうがなんだろうが本当に申し訳ない気持ちになった。まだまだ生きたかった人たち、ごめんなさい。たいして生きたくもない私がまだ生きています。

楽しいことも幸せな気分も一瞬で消え、死ぬまでの暇つぶしにもならないような日々を繰り返す。


かわりたい。

かわりたい。

かわらないなぁ、私。


忘れもしないあの日、食べ物や水が空っぽになったスーパー、コンビニを目の当たりにして心底ゾッとした。お金がただの紙切れになった瞬間を経験した。ネイティヴアメリカンの格言を思い出した。


降り注いだ高濃度の放射能による被曝、ネット上で放射能パニックになる人たち、問題ないを繰り返す政府とFAKE NEWSで頭がおかしくなりそうだった。というか半分ノイローゼだったと思う。とにかく、ここにいてはだめだと思った。

食べ物を作る側を見たいと思って、農業の「の」の字も知らないまま農業の現場に飛び込んだ。いや、正確に言えば放射能から、逃げた。

それでも畑での日々は想像以上に充実していて、私の中にくすぶるドス黒い何かを少しずつ解放した。就農も考えたけども、数年後、腰椎が折れてそのまま農業を続けることが不可能になり、そのまま長い回り道を繰り返して、また振り出しに戻ったそのままの自分。

当時の恐怖は悲しいことにもう感じない。いまだダダ漏れ放射能は消えなくても、人間の記憶や感覚はゆるやかに消えていくのだから。

そしてこの数カ月、土から大きく離れた日常生活への違和感は日々増していくばかり。時々、世界と自分が切り離されているような感覚に陥ることがあって、ぼんやりしていたら、階段から落ちて尾骶骨を打撲した。shit


まだ生きたかった数千の人生が消えた6年前。人生の後悔ばかり数えて溜息をつく6年前と変わらない自分。


見たい世界は向こうからやって来るわけじゃない。

解ってる、そんなこと。


考えてないで動け!